鳥海山(出羽富士、秋田富士)|日本百名山.net

日本百名山

鳥海山

Mt.Choukai

鳥海山

名称 鳥海山
よみ ちょうかいさん
ちょうかいざん
所在地 山形県 秋田県
標高 2,236m
山系 出羽山地
種別 成層火山・常時観測火山
分類 日本百名山
新日本百名山
花の百名山
新・花の百名山
難易度 ★★
体力度 ★★
日程 1泊2日

鳥海山(ちょうかいさん、ちょうかいざん)は、山形県と秋田県にまたがる標高2,236mの活火山。山頂に雪が積もった姿が富士山にそっくりなため、出羽富士(でわふじ)とも呼ばれ親しまれている。秋田県では秋田富士(あきたふじ)とも呼ばれている。古くからの名では鳥見山(とりみやま)という。鳥海国定公園に属する。日本百名山・日本百景の一つ。2007年(平成19年)に日本の地質百選に選定された。

概要

山体は山形県の飽海郡遊佐町・酒田市と秋田県の由利本荘市・にかほ市の4市町にまたがるが、山頂は飽海郡遊佐町に位置し、山形県の最高峰である。

東北地方では燧ヶ岳(標高2,356m)に次いで2番目に標高が高く、中腹には秋田県の最高地点(標高1,775m)がある。山頂からは、北方に白神山地や岩手山、南方に佐渡島、東方に太平洋を臨むことができる。

山の南側には夏、「心」の字の形に雪が残る「心字雪渓」がある。山頂付近には夏場も溶けない万年雪(小氷河と表現されることがある)が存在することや、氷河の痕跡として特徴的なカール地形が存在することから、かつて氷河が形成されていたという説がある。このため、山麓の市町村では「氷河」を冠した特産品が見受けられる。

鳥海山の固有種としてはチョウカイアザミやチョウカイフスマがある。

鳥海山は日本海に裾野を浸した秀麗な山容を持つためか、古くから山岳信仰の対象となり、山頂と、麓の吹浦(山形県遊佐町)と蕨岡(山形県遊佐町)には大物忌神社が祀られ、出羽国一宮として崇められてきた。日本海に浮かぶ酒田市の飛島には、鳥海山の山頂部が吹き飛んできて出来た、あるいは鳥海に住む鬼が神罰を受けた際に飛んだ首によって出来たという伝承があり、それが島の名前の由来になっているという。また、飛島に祀られた小物忌神社は鳥海山の大物忌神社と対をなしているとされる。

自然

鳥海山の峰々

東鳥海

中央火口丘

外輪山

西鳥海

中央火口丘

外輪山

鳥海火山

全体としては玄武岩ないし安山岩の溶岩からなる富士山型の成層火山であるが、火砕流、降下軽石、火山灰などの噴出は少なく、主に溶岩流により形成された山である。北側から西側にかけては側火山や火口、さらには河川による侵食で、複雑な山容を示している。新旧2つの二重式火山が複合したもので、侵食の進んだ「西鳥海」と新しい溶岩地形をもつ「東鳥海」とからなり、それぞれに中央火口丘と外輪山がある。

紀元前466年には大規模な山体崩壊を起こし、岩石や土砂が現在のにかほ市に堆積して象潟の原型を形成している。象潟付近の九十九島は紀元前466年の噴火で形成された流れ山で、形成当時は海中の小島であったが、1804年象潟地震により隆起し特徴的な地形となった。

1801年の噴火では死者8名の記録があり、生じた溶岩ドームは東鳥海山の新山として現在も残っている。1974年3月から5月にかけては水蒸気爆発新山の東側火口および荒神ヶ岳の割れ目から噴煙を噴出した。

有史以降の主な火山活動

鳥海山獅子ヶ原湿原植物群落および新山溶岩流末端崖と湧水群

鳥海山から流れ出した溶岩流の末端には、湧水地が点在している。特に山麓の獅子ヶ原湿原は、標高500mながら、多様な高山性のコケ類が見られ、2001年に天然記念物に指定された。

登山

登山口までのアクセス

公共交通機関

JR東日本・羽越本線「象潟駅」下車。象潟合同タクシーバス「鳥海ブルーライナー」で終点鉾立下車(運行日注意)。

JR東日本・羽越本線「酒田駅」か「吹浦駅」下車。庄内交通バス「快速 鉾立行き」で終点下車。(平成26年より廃止)

道路

秋田県側から:国道7号、秋田県道58号象潟矢島線、秋田県道131号鳥海公園小滝線(鳥海ブルーライン)経由。

山形県側から:国道7号(鳥海ブルーライン入口交差点)もしくは国道345号(十六羅漢交差点)、山形県道210号鳥海公園吹浦線(鳥海ブルーライン)経由。

モデルコース

鉾立バス停→賽の河原→御浜小屋→頂上御室(大物忌神社・泊)→鳥海山(新山)→河原宿小屋→八丁坂→滝の小屋車道終点

他に矢島口・吹浦口・百宅口コース等多数。

鳥海山にちなんだ名称

大日本帝国海軍の重巡洋艦および海上自衛隊の護衛艦にこの山から名前をとった「鳥海」「ちょうかい」がある。

列車の愛称名としても歴史は古く、最初は上野発東北本線・奥羽本線経由で秋田行きの急行の愛称として登場し(この列車が後の「津軽」)、その後は上野発上越線・羽越本線経由で秋田行きの急行の愛称として長く親しまれた(臨時列車には酒田発着もあった)。東北・上越新幹線開業後は上野発上越線・羽越本線・奥羽本線経由で青森行きの特急の愛称(昼行の時と夜行の時があった。夜行は現在の「あけぼの」)となったが、この特急時代の「鳥海」は地味かつ不遇であった。